日本独自の民芸品としてなじみ深い「こけし人形」には、実は悲しい由来がある。
こけしが生まれたのは江戸時代の末期で、飢えに苦しむ家庭に生まれてきた子どもを親が殺してしまい、その水子霊をなぐさめるために作られた。
その後、「子消し」の呼び名が転じて、現在の「こけし」表記になったのだ。
噂のもとになったのは、1960年代に詩人の松永伍一が発表した「こけし幻想行」だ。タイトルのとおり、こけしに関して著者が抱いた「幻想」を表現した作品で、決して学術的な論文ではない。
実際、「こけし幻想」の前に子消し説を唱えた文献はなく、詩人が唱えたキャッチーな想像だけがひとり歩きしてしまったようだ。